タイトル通りです。
新しく投稿しようとした記事があんまりはてブロ向きじゃないなって思ったので移行することにしました。
あと記事一覧の視認性が良いため。
一部の記事はnoteにインポートしましたけど、こちらはこちらで残しておくことにしました。
タイトル通りです。
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あと記事一覧の視認性が良いため。
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たまにアクセス解析を見ると前々回の泌尿器科で成人男性が情けないことになった話がちょいちょいみられてる感じがするんですよね。
あれ以来夜のお店には行ってなかったですが先日初めて泡風呂屋さん行ったら怒られが発生したので実質2連敗かもです。
時間があったから昼過ぎに行ったところ「デカすぎるから夜の終わり際に来てくれないとしんどい。加害性を自認しろ」とのことです。
風俗説教おじさんは本当にいるらしいけど、逆に説教されることとか普通あるか?
ダスクです。
突然ですが、私はなぜか異常に蚊に刺されます。
今となっては蚊に刺されていましたというべきかもしれないですが。
血液型がO型とか、体温が高めとか、一般的に「蚊に刺されやすい」と言われている条件は確かに満たしています。
とはいえ、それだけでは説明できないレベルで刺されます。
6人くらいでキャンプしていても、なぜか自分だけがあり得ない量の蚊に刺され、他の人はほぼ無傷。
最早、自分が蚊を誘引しているんじゃないかという状況。
学生の頃は外にいたとしてもここまでではなかった気がします。
東京にいた頃は会社と家と少しの買い物のために店を往復するだけで、周囲もほぼ人工物しかない生活。
公園どころかそもそも外出をほとんどしない生活だったため、蚊に刺される機会自体がありませんでした。
こちらに戻ってきてから、明らかに蚊に刺される量が増えたため何か大きな原因があるんじゃないかと真剣に考えるようになりました。
結論から言います。
原因はシャンプーでした。
東京にいた頃、見ていた配信の影響で少しお高めのシャンプーを使うようになりました。
香りが好みで、くせ毛との相性も良かったので、&honeyのメルティ(ピンク色のやつ)を使い始めました。
調べてみると、「&honeyを使い始めてから頭に虫が寄ってくるようになった」と言っている人がちらほらいました。
なんだかんだ5年ほど使っているので、自分ではそこまで香りを感じなくなっていましたが、こういうものは香水と同じで、本人が慣れているだけなんですよね。
周囲には普通に香りが漂っている。
それがおそらく蚊を誘引しているのだろうという考えに至りました。
ということで、試しに使うシャンプーを変えてみることにしました。
調べてみると、蚊はラベンダー系の香りを嫌うらしいです。
そこで、以前試供品を使った時に
「ラベンダーの香りすごいなこれ」
と思った、セラティスのシャンプーを使ってみました。
結果ほとんど蚊に刺されませんでした。
以前は特に首元を集中的に刺されていたのですが、そこを無傷で済ませられたのはかなり大きかったです。
腕を2か所だけ刺されはしましたが、以前は常に体の周りを蚊が飛んでいて、少し油断すると即刺されるみたいな状態だったので、それに比べるとかなり快適でした。
あの日は、ほとんど蚊を気にし続けるという時間がなかったんですよね。これが本当に大きい。
もちろん、科学的に完全に証明された話ではないですし、単純にその日の蚊が少なかった可能性もあります。
夏場は特に「良い香り」を意識しがちな季節ですが、フローラルな香りを漂わせていればそれで良い、というわけでもないのかもしれません。
余談ですが、翌週外に出た時にボディーソープもハッカ入りのものに変えてみたところ、虫刺されはほぼ完全になくなりました。
もちろん個人差や環境差はあると思いますが、自分の場合は「香り」を見直したことでかなり状況が改善しました。
もし「なぜか自分だけ異常に蚊に刺される」という人がいたら、虫除けスプレー等を使うだけでなく、普段使っているシャンプーや整髪料、ボディーソープや柔軟剤の香りを見直してみると何か変わるかもしれません。
この記事が、毎年虫刺されに悩まされている誰かの参考になれば幸いです。
さむわんへるつを読みなさい。
週刊少年ジャンプで大好評連載中なので読みなさい。
単行本が出たばかりなのでそれ読むだけでもいいよ。
ダスクです。
先日さむわんへるつの単行本を買いに書店に足を運んだ。
店舗に足を運ぶのは一体いつぶりだろうか。
しかし新刊コーナーには見当たらず、棚には隙間があるようには見えなかった。
平積みも綺麗にされていて特別空きがあるようには見えない。
仕方なくカウンターに向かうことにする。
カウンターにいた店員は学生くらいの年齢の男の子で、背が高めだった。
胸元には「研修中」と書かれた札が付いている。
近づいた瞬間に気づいた。
鼻毛が出ている。
いや、出ているという表現は正確ではない。
束になって出ている。
一瞬、見間違いかと思った。
視界に映してはいけないものが映り込んだような気がして、反射的に目を逸らした。
あれは見てはいけないやつだ、と本能が判断した。
だが、どうしても気になってしまった。
もう一度、見た。
綺麗な二度見である。
確実に出ている。
束になって黒光りしているし、濃い黒色が非常に目立っている。
妙に生々しい。
人工物じゃない、確実に身体の一部だった。
背が高めだから見えたのかと思った。
しかし画面を見るうつむいている顔に主張の激しい濃い黒色。
応対自体は一瞬で終わった。
目的の本は置いていなかったからだ。
思考が纏まらないままその場を後にする。
その場で彼に指摘してあげることはできなかった。
あまりにも衝撃的な絵面すぎてどうするべきかを即座に判断することができなかった。
他の店員に伝えて同じ職場の人間から指摘をしてもらうべきだったのか。
面と向かってではなく電話とかで伝えるべきだったのか。
なんだか違う気がした。
あれだけ出ていて、普通は気づかないわけがない。
なぜ俺が気付くまで放置されてしまっていたんだ?
という疑問が強い。
俺以外の奴も絶対気付いてないとおかしい。
指摘してあげるのがやさしさなのか。
見なかったことにするのがやさしさなのか。
本気で悩んだ。
もしかしたら、彼の中には
「鼻毛を処理する」
という概念自体が存在していないのではないか。
そんな考えが頭をよぎった。
ふと、昔のことを思い出した。
高校生の頃、なぜか野球部の連中から「たくあん」という謎のあだ名で呼ばれていた時期がある。
当時は、何を指してそう呼ばれているのかがさっぱり分からなかった。
後から思い返すと、心当たりは一つしかない。
自分には、眉毛を整えるという概念がなかった。
流石につながらないようには気を遣っていたが、太さそのものについては完全に無頓着だった。
正直かなり太かったのだと思う。
それを指して彼らは「たくあん」と呼び、
俺はそれが何を意味しているのか分からないまま、
分からないこと自体を含めて笑われていたのだと思う。
バイトを始めてからはストレートパーマをかけたりコンタクトにしたりと色気づいていたのだが、眉毛を整えるというのもその頃にし始めた覚えがある。
抜いて処理をしているところはかなり薄くなってはいるが、今でも眉毛が生える範囲は縦に広い。
いつ思い返しても非常に腹立たしい。
その記憶が、鼻毛の彼と重なった。
彼は、あの頃の俺なんじゃないか。
概念が存在しないから恥をかいていることにも気づけない。
そう考えると、彼の鼻毛についてその場で指摘してあげることこそが、
一番のやさしさだったんじゃないかと思えてきた。
とはいえそんな機会はそうないのが正直なところだが。
閲覧注意です。
男性の陰部の話と成人男性が泌尿器科で情けない感じになった話しかしません。
まだXがTwitterだったころ、
「ちんちんに500円玉が横に2枚乗ります」みたいなツイートをしている人がいた。
マジだったらバケモンだろ、と思った。
DMくれたら写真送ります、みたいなことを言っていたので、
流石に興味を惹かれてDMを送って写真を見せてもらった。
思っていた乗り方とは若干違ったが、確かにデカかった。
5年前の当時は、自分のと比べて明確にデカかった記憶がある。
それを思い出してDMを遡ったところ、
当該アカウントは凍結されていたが、DMだけは確認することができた。
改めて見比べると、今はそこまで差がないように見える。
自分のだから見慣れていて気付かなかったが、
度重なる過酷なオナニーによって、我が愚息が経年で肥大化している可能性があり、
これは非常にまずい。
これ以上大きくならないでほしい。
「でかいほうが正義」
「男としてのステータス」
正直に言うが、全くそんなことはない。
まず、日常生活で役に立つ場面が一切ない。
履歴書にも書けない。
仕事が早く終わるわけでもない。
給料が上がるわけでもない。
人生が楽になる要素でもない。
むしろ邪魔になる。
服選びは地味に困る。
体型に合っているはずのズボンでも、股間のあたりだけ変なシルエットになる。
足が太いのもあるがスキニータイプのパンツはまず履けない。
夏は蒸れるし、座り方を気にする必要がある。
電車とかで足を閉じて座ると、陰茎が閉じた足の上に鎮座する。
存在感が強すぎる。
話は逸れるがだからと言って電車で足を閉じれない奴は陰部がでかいのではない。
甘えているんだ。
一時期プールに通っていたが、サポーターがないと形がモロに出る。
股上が長めのズボンを履いて座ると股間の当たりが異常に盛り上がる。
これがいちばんやばい。
今はエアリズムのトランクスを履いているが、生地が軽すぎてトランクスなのに形が出る。
以前は普通のトランクスを履いていたので家ではインナーのみで過ごしていたが、
今はそういうわけにはいかない。
あと、期待値の問題。
「でかい=すごい」という雑なイメージを、本人の意思とは無関係に背負わされる。
その結果、何も起きていない段階で勝手にハードルだけが上がる。
大きな武器だけ持っていても何もないし、大きさは強さとは比例しない。
冷静に考えてほしい。
ほぼ罰ゲームだ。
そもそもサイズの話なんて、身長と同じだ。
本人がどうこうできるものじゃない。
大事なのは、清潔感とか気遣いとか、
ちゃんと会話できるかどうかとか、
そういう地味で当たり前の要素だ。
公に見えるものではないが、サイズというのはわかりやすい指標だからだろうか。
だが、わかりやすい=正しい、ではない。
結局のところ、「でかいから幸せ」みたいな話は存在しない。
でかくたって、いいことはない。
少なくとも、人生が楽になることはない。
むしろ、デカすぎることで面倒ごとが増えてきた側の人間だ。
極端に小さいよりはマシだとは思うが、だからと言って大きすぎるのも考え物だ。
そもそもなぜこんな話をしているのか。
その発端は、少し前にさかのぼる。
オフラインイベントの前乗りでホテルに泊まったためデリヘルを呼んだ。
昨年も呼んだため今回も呼んだ。
地元では性風俗を利用することは全くなかったが出先だったので呼んだ。
なぜなら旅の恥はかき捨てだからだ。
しばらく献血できなくなるというのもある。
到着した嬢が「オプションでAF無料ですよ」と言ってきたが、断った。
無料だからとアブノーマルプレイを自分から提案してくることに流石に不安が勝った。
断ったはずなのにシャワーを浴びている最中に
「ごめんなさいデカすぎるから、AFはちょっと無理です」と言われた。
こっちは最初から断っている。
言葉が通じないのか?
その後、事故が起きた。
とにかく歯が当たる。
しかも遠慮なくバキュームしてくる。
正直、かなり痛い。
痛いことは伝えた。
バキュームはやめてくれたがそれでも歯は当たり続ける。
これはもう、しょうがない。
愚息がでかく、嬢の口が小さい。
大きければいいってわけじゃないっていうのはそういうことだ。
その場では血は出ていなかった。
だが、あとから見ると一部が1mm四方くらい、微妙に赤く変色している。
その瞬間は痛みがあったが翌朝には異常はなかった。
嫌な予感はしたがやり過ごした。
それからしばらくして、愚息に違和感が。
ただ、場所が場所だけに、日中は意識しないようにしていた。
ある夜、寝ている最中に猛烈な痒みを感じる。
微睡みの中で無意識にかきむしった。
完全に目が覚めたとき、「これはやったな」という痛みに変わっていた。
もう諦めて病院に行くことにした。
いつも行くガソリンスタンドの近くに泌尿器科があったのを思い出し、そこへ向かうことにする。
人生初の泌尿器科だ。
まず誤算。
検尿があることを知らず、会社を出る前にお手洗いを済ませていた。
結果、水を飲み尿が出るまで待合室で待機。
受付から20分ほど待たせてしまった。
非常に情けない
待合室で壁の展示物を眺めていると、
飾ってある賞状に明らかに女性の名前が書いてある。
嫌な予感がしwebページを確認したところ医師が女性だということが判明する。
完全に男性医師だと思い込んでいた。
ここで精神的ダメージ。
まるで、
「女性に陰部を見られたくてここを選んだ」
みたいな構図になってしまった。
そんな意図は誓ってない。
診察では、
デリヘルを呼んだこと、
口淫のみだったこと、
歯が当たったこと、
強く吸われたときに激しい痛みがあったこと、
3日ほど前から陰部の違和感が続いていること、
意識して触らないようにしていたが、寝ぼけながら無意識にかきむしったこと。
それらを、かなり言葉を選びながら説明する。
「挿入はしたの?」「ヘルスだったのでオーラルのみです」
とか真面目な顔で喋っていた。
非常に情けない
問診が終わったところで診察台に仰向けになる。
検査のためパンツごと若干下げられ陰毛が露出する。
非常に情けない
まずはエコーで腎臓と前立腺を確認される。
ジェルを塗られた状態で脇腹をめっちゃ触られてニヤついてしまったが、
マスクをしていたため強く目を瞑ることでギリギリ難を逃れる。
声のニヤつきは抑えきれていなかったかもしれない。
笑いを堪える辛い時間が終わったと思ったら、おもむろに女性看護師にパンツを完全に下げられる。
「腰上げてくださいね~」ガキちゃうねんぞ。
非常に情けない
絶対に勃起だけはするな。
泌尿器科に行くと決めた時からそればかりをずっと考えていた。
改めて自分に言い聞かせた。
だが、現実はそう甘くない。
触診はとにかく遠慮がない。
滅茶苦茶ぐにぐに触られるし遠慮なく仮性包茎を剥かれる。
「この部分赤くなってますね~」
「ここって元からこうでした?」
こことか言われても仰向けで寝てるから見れない。
仕方なく上体だけを起こし、指差し確認しながら説明する。
非常に情けない
上体を起こしたことで女性看護師がめっちゃ見ていることに気づく。
さっきまで一人だったのになぜか二人いる。
何故増えているんだ。
思わず2度見してしまった。
若く見えるし、滅茶苦茶かわいい。
あかん、と思ったが、一度雑念が入り反応し始めた愚息は止まらない。
完全に立派な状態のまま、女医と女性看護師2名に対応される。
非常に情けない
今までの人生で一番情けない。
出禁にしてくれ。
何よりただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
それにいないところで笑いものにされるに違いない。
触診が終わり、一人残される。
ベッドはカーテンで囲われているが情けなさは何も減らない。
一人ズボンを履き直す。
30歳成人男性
非常に情けない
検査の結果性病ではないらしいのでそこは安心。
情けなく恥ずかしい思いをしたが、
これをデジタルタトゥーとすることで担当医と看護師への禊とする。
なお、来週もう一度通院予定。
非常に気が重い
最近ベッドシーツを新調しました。
去年の寒いシーズンの時はもこもこの奴を使っていたんですが、どうも肌に合わずいい感じの奴が無いか探していたところニトリからサテンストライプ生地のサラサラした感触のシーツが出ていました。
今のところ今年買って一番良かったものかもしれません。
近々スニーカーを買い替える予定なのでそれがシーツを上回るくらいいい買い物になる事を祈っています。
ダスクです。
個人的に本作品はアニメ版の印象が強いですが、先日、実写版『秒速5センチメートル』を観ました。
数年前にアニメ版を初めて観たときの気まずさや後味の悪さを思い出しつつ、
当時よりも成長した今、改めてこの作品と向き合ってみようと思ったのです。
イラストが綺麗なことで有名な作品で、監督である新海誠さんの名前も、ずっと昔から耳にはしていました。
ただ、実際にその作品を観たのは2018年の冬のこと。知人の女性と二人、部屋で観たのですが、正直、非常に気まずい時間となりました。
物語はハッピーエンドになるだろうと思っていたのに、盛り上がることもなく、最後までくすぶったまま幕を閉じた。観終わったあとには「なんという後味の悪さだろう」と思ったものです。
先日ツイッターで「彼女もどきができた男が、アラサーになるまでくねくねしていた映画」という評を見かけたのですが、まさしくその通りだと思います。
「君の名は。」が“呪いを解く映画”だと評されていたことを思い出した時とき、私はなるほどと思いました。
しかし私は“呪いの元凶”を後から観てしまったが故に若干ダメージも大きかったです。
上記のような印象もあり、遠野貴樹というキャラクターには昔からどこか距離を置いて見ていたところがあります。
青年期の貴樹を演じた松村北斗さんが公開前のインタビューで
「あの憧れていた遠野貴樹を、僕なんかが演じるんだ」と語っていたのを見て、本当に意味が分かりませんでした。
なぜ彼に“憧れる”ことができるのかが理解できなかったのです。
むしろ、男としては憧れてはいけないタイプだとアニメ版の頃から思っていました。
その感覚を確かめるためにも実写版を観に行った節がありましたが、
最後までその理由はわからずじまいでした。
むしろ、実写になったことでその“くねくね”ぶりがさらに際立ち、
改めて「これは反面教師として観る映画だ」と感じました。
“呪い”という言葉は抽象的ですが、ここで言いたいのは、恋愛に対して抱いてしまう悲観的な感情のことです。
「初恋は実らない」だとか、「距離が離れれば、気持ちも離れていく」というような現実を、まざまざと突きつけられる。
それがこの作品にはあると思います。
アニメ版では、主人公の遠野貴樹のモノローグが、自らの内面を詩的に描いていました。
しかし実写版ではそうしたモノローグがかなり削られており、そのぶん“彼の痛み”や“執着”が、俳優の表情や間の取り方を通じてよりむき出しになっていました。
理想化された後悔ではなく、現実に存在し得る「過去に縛られた男」の姿。
それを見るたびに、「ああ、これは単なる物語じゃない」と感じざるを得ませんでした。
遠野貴樹という人物を見ていると、恋愛というよりも過去そのものに囚われてしまった人間のように感じられました。
特定の誰かを想っているというより、“あの頃の自分”を繰り返し追体験している印象です。
実写版ではその執着が、アニメ版のような内面描写を経ずに描かれているため、より生々しく映りました。
静かで淡々とした演出の中で、貴樹の時間だけが取り残されている。
現実の時間と彼の心の時計が、まるで別の場所を歩いているような印象でした。
高畑充希さんの演じた篠原明里の存在が、そうした停滞をより際立たせていたように思います。
彼女は過去の象徴ではなく、確かに“今”を生きている人として描かれていた。
だからこそ、貴樹の足踏みが一層痛々しく見えたのかもしれません。
約束の場所へ向かったものの、二人が出会うことはなかった――。
その場面で、暗い映画館のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきました。
けれど、正直なところ私は「これで泣けるって本気か」と思っていました。
もし泣くのだとしたら、ラストの“館長との反省会パート”(と私が勝手に呼んでいる部分)以降ならまだわかります。
あそこには、ようやく現実を受け入れようとする気配がある。
しかし、それまでの彼はずっとくねくねしていただけです。
その段階で涙が出てしまうのは、少し都合が良すぎる気がしました。
アニメ版と同様に見終わった後の気まずさや気分の悪さは依然としてありました。
感動や涙ではなく、諦めに近い感覚。
長い夢から醒めたあとに残る空白のような、あの微妙な時間の感覚。
派手な結末はなく、ただ「何も成さずに終わった」という事実だけが静かに残る。
この余白の取り方が、この作品らしさなのだと思いました。
アニメ版の『秒速5センチメートル』は、雪や桜、光と影といった“詩的な風景”を通じて心の距離を描いていた印象があります。
しかし、実写版では肌の温度、街の湿度、人の呼吸といった“生身の質感”が場面の中にありました。
説明を省き、ただ淡々と現実を写し取ることで、観る者自身の人生の温度が画面に重なるような作りでした。
「これは、実写でなければ出せない温度感だな」と強く思ったのです。
『秒速5センチメートル』という作品は、アニメでも実写でも、観る人の過去を静かに掘り起こすようなところがあります。
見終わったあとに気まずさや虚しさが残るのは、きっと作品が“誰かの物語”ではなく、“自分のどこかにある記憶”を刺激してくるからでしょう。
実写版は、その痛みを現実の距離と温度で描いたことで、より生々しく、そして静かに響く作品になっていました。
心の中に残るのは感動ではなく、淡い諦めのような静けさ。
けれどその静けさこそが、この物語にふさわしい余韻なのだと思います。
総じて、とても良い映画だったと思います。
アニメ版と比較しても非常によくまとまっており、
むしろアニメ版しか観ていない人こそ、実写版を一度観てみるべきだと感じました。
実家に帰ってきて1年と少し経った今、車を所有するというのは本当にお金がかかるものなんだなと、改めて実感しています。
そうでなくとも、岐阜に帰ってきてからというもの、ライフスタイルの変化や諸々の事情で出費がとても多くなりました。
その分、ソシャゲへの課金額が東京にいたころに比べてかなり減っているので、帳尻は合っているのかもしれません。
ゲーム好きの編集者さんが鬱のときにソシャゲに過度課金してしまうのあるあるだと言ってて、作業療法としては悪くないし、無害ではあるし、それがなかったら別の行動に走ってたかもだし、治療代と思ってあきらめるしかないと言ってた。
— 朱野帰子 技術書典18 オンライン参加 5/31-6/15 (@kaerukoakeno) 2025年2月15日
色々鑑みると、ある程度は仕方のなかったことかもしれません。
ダスクです。
突然「義務感」ってなんの話だよという感じかもしれませんが、今日はブルアカのランキングコンテンツの話と、それにまつわる自分語りをしようと思います。
結論だけ一旦先に書くと、総力戦・大決戦から少しだけ力を抜いてみようかなと思いました。
上位を狙いに行くことやチナトロを目指すことをやめて、「報酬が全部取れたらいいな」くらいの温度感に、少し肩の力を抜いて向き合っていこうと思っています。
ブルアカは1周年より少し前からやっていて、チナトロに関しても結構長い事維持してたはずなので惜しい気持ちもなくはないですが色々考えた末の結論です。
その理由や、自分の中にある感覚や過去の体験などを整理してみたところ、思ったよりも長くなったので、備忘録として残してみることにしました。
内容としてはかなり個人的ですし、理由はどうあれ「離れる」という選択は、少なくともポジティブな話ではないです。
自分語りの自己満足なので、あまり期待せずに暇つぶし程度の気持ちで読んでいただければ幸いです。
2024年の2月、6年働いたゲーム会社を辞めて実家へと戻ってきました。転職先の出勤初日が3月1日で、サークルに加入したのはその前日だったと思います。
チナトロは維持できていたものの、なんだかんだ1年以上所属していた所謂“無言サークル”のアクティブ率がかなり低くなっていて、どうしたものかと困っていました。
サークルの助っ人があまりにも当てにならずフレンド募集だけに頼り切りになる状態は将来的にも困るだろうなと思いました。
そこで学生時代からの友人であるかんなさん(或いはかんなづきさん)に相談して、サークルを紹介してもらったような気がします。
あるいは、自分から「紹介してくれ」と頼んだのだったかもしれません。
無言サークルで感じていた不満の反動もあって、アクティブ率が担保されたサークルに入りたいという思いがありました。
正確な経緯はもうあまり覚えていませんが、そういう流れで加入したのは確かです。
加入当時の除名条件はゲームサークルログイン又はDiscordサークルチャット2週間未参加でした。
しかし正直なところ、加入後しっかり交流できていたかというと、そこは少し自信がありません。
タイミングが合えばチャットに顔を出すこともありましたが、常に監視しているわけでもないので、気づいたときには話題が流れてしまっていたり、良いタイミングで拾えなかったりして落ち込むこともありました。
逆に「よし、楽しく話せたな」と思える日もあって、そういうときは普段壁打ちばかりしてる自分にとっては新鮮でした。

所属し始めてからは以前よりも上位を狙ってはいました。
ただ、これまでで一番良くて精々2000位台程度でした。
広く公開されているチャートの中から自分の手持ちに合ったものを探し黙々とプレイするというスタイルだったので、あえて相談しにいかないといけないような状態に中々陥らなかったですし、自分でチャートを組んだり改良したりわけでもなかったので、攻略関連の話題には特にあまりうまく乗れなかったという感覚があります。
そういうこともあってサークル内で独自に研究されていたチャートに乗るのにも少し気が引けていました。
加入から半年以上が経った頃、どこかの歓迎会のタイミングで、初めてVCに顔を出しました。
とはいっても、マイクで話したことは一度もありません。
今までも、これからもおそらくないと思います。
基本的にはVC専用チャットでの文字ベースでの会話でしたが、それでも思いきって参加したことは自分にとっては大きな一歩でした。
少し前の大決戦では、初めて期間中の大決戦VCにも参加してみました。
文字は打ちながらも相変わらず黙々とプレイしている状態ではありましたが、実際に参加してみると思ったよりも楽しくて、それがきっかけで次の生放送同時視聴VCにも顔を出してみました。
これもまた、素直に楽しかったです。
そんな中で、今年のGWを迎えることになりました。
今回のGWは、本当に久しぶりに“何もない連休”でした。
岐阜に帰ってきてからというもの、なんだかんだ土日には予定が詰まっていることも多く、長期休暇でもRIJのボランティアなどで忙しくしていることが多かったのですが、今回は珍しく、何も予定もイベントも抱えていない、完全に空白の休日でした。
だからこそ、「総力戦グレゴリオ、ちゃんとやらなきゃな」という意識がずっと頭の隅にありました。
でも実際には、手がつけられませんでした。
最初の何回かはそこそこちゃんとプレイしていたと思います。
でも徐々になんだかプレイを続けるのがしんどくなり上位を狙う気力はどうしても湧いてこなくて、本気でやるつもりのない自分がVCに行くのも気が引けて、気づけばDiscordすら開かなくなっていました。
グレゴリオの消化を続けるその一方で、他のゲームをしていたりALGSを観たりする時間も確かにありました。
物理的に距離が離れてオフイベに行きにくくなったり、仕事の変化で配信にもあまり顔を出せなくなっていたこともあって、推し活からは少し距離ができていたのですが、ALGSのおかげで再燃した感覚がありました。
失っていたものを取り戻したような感覚があって、それはそれで非常に良かったです。
でも「総力戦をちゃんとプレイしていない」という事実が、ずっと心のどこかに引っかかっていて、やらなきゃいけないことを見なかったことにして現実逃避しているときの、あの感じがずっとつきまとって消耗してる感じがしていました。
普段の生活でも、やることはたくさんあります。
とはいえ別にそれ自体は普通の事ですし、コンテンツが飽和したこの現代において、暇で暇で仕方がないしやることが無いという人は中々いないとは思いますが………。
帰ってきたばかりの頃は残業を一切していなかったのですが、半年くらい前に「残業してもいい雰囲気」を感じてからは、最近は基本的に追加で1~2時間程度の残業をするようになりました。
ブルアカ以外にも、コンスタントにプレイしているソシャゲはいくつかあります。
去年の5月にリリースされた『学マス』には、思ったよりもしっかりハマってしまいました。
やっぱローグライクで上振れてドーパミンドバドバで気持ちよくなるのってやめられないんすねって感じです。
ボーイスカウトの指導者もしてるんですが、同じく指導者をしている幼馴染が所帯を持ったこともあって、「将来的にも自分がカバーできるところは自分がしてやらなきゃな」と思う場面が増えています。
要するに、ここ1年くらいの間で、自分のライフスタイルは以前のものとはガラッと変わってしまったということです。
仕事も住むところも変わった以上ある程度変わることは織り込み済みでしたが、高田馬場という好立地に住んでたにも関わらず引きこもり生活をしていたころから考えると、本当に色々なことが変化しました。
やりたいことと、やらなきゃいけないことが徐々に増えていく日々の中で「何をどの順番でこなすか」にはかなり気を使っています。
だからこそ、今回は珍しく何も抱えていなかったはずなのに、逆に「やるはずだったことをやっていない」という感覚が強く残ってしまったのかもしれません。
突発的なモチベーションの低下は、もしかしたらまた急に来るかもしれないと思いました。
焦るのに動けない、やってないのにしんどい、或いはやってないからしんどい。
自分でもよくわからないけど、とにかく気持ちの整理がつかないまま、じりじりと消耗していく。
そういう感じが、またやってくるかもしれないと思うと、ちょっと怖くなりました。
だったら、過去の経験と同じように一度その原因からちゃんと距離を置いてみてもいいんじゃないかと思いました。
過去にも似たような経験があります。
それは『アークナイツ』をプレイしていたときの、ある出来事でした。
アークナイツでは「危機契約」という高難易度イベントが定期的に開催されていました。
その中でも、報酬が変わるわけでもなく、誰かに評価されるわけでもないのに、「一番の高難易度で、できるだけ編成人数を減らしてクリアする」ということに、ずっとこだわっていた時期がありました。
攻略情報をなぞるだけでは物足りなくて、自分なりに削って、試して、詰めて。
完全に自己満足ですが、それをやらないと気が済まなかったんです。
デイリー全盛8日目
— ダスク=サン (@Dusk586) 2022年12月15日
テンニンカは無しでも行けたかもなって感じ
昔に比べてデイリー全盛が難しくなってる気がする pic.twitter.com/v9aolFUilM
そのスタイルが続かなくなったのは、体調を崩したときでした。
そのとき初めて、“やらなかった”というより“やれなかった”という経験をして、「やらなくても別に何も起きないんだな」と知りました。
楽しくてやっていたはずなのですが、自分でも気づかないうちに「ずっとやってきたのだから今回もやらなきゃ」というような強迫観念にも似た何かを抱えてしまっていたのです。
それ以来危機契約デイリー全盛は無理のない範囲で面白そうな内容の時だけそうしてみるというスタイルに落ち着きました。
たぶん、普通の人からすれば、「義務感でやってるようならそんなゲームやめた方がいい」って思うだろうし、実際その通りだなとも思います。
一方とある理由で義務的なログインを続けているゲームもあります。
それが『千年戦争アイギス』です。
アイギスはもうすぐ11.5周年を迎える長命タイトルですが、ある時期、数か月間全く触らなくなったことがありました。
理由ははっきりしませんが、おそらく何か別のことに夢中になっていたんだと思います。
そんな状態で久しぶりにアイギスをプレイしたとき、「なんでこんなに面白いゲームから離れてたんだ?」と素直に思いました。
それ以来、「熱が戻ってきたときに後悔したくない」という気持ちが芽生えました。
熱がない時期でも、ログインだけはしておこう。
最低限のイベント報酬だけは受け取っておこう。そんな習慣が自然と身につくようになりました。
実際、復帰後に溜まっていたタスクを一気に片付けるのは、正直言って結構しんどかったです。
別にそれを放置してしまえばいいのかもしれませんが、「やれるならやっておきたい」という気持ちが、自分の中にはあるんだと思います。
それが、“義務的なログイン”という習慣につながっていったのだと思います。
“義務的なログイン”とは言いましたが、それが必ずしもしんどさに直結しているかというと、そうでもありません。むしろ、タイトルによっては義務感とうまく付き合えている実感があります。
先述の通りそのきっかけとなった『千年戦争アイギス』や『モンスター娘TD』は、今プレイしている中でも、かなり義務的にログインをしているタイトルです。
上手く付き合えている理由はいくつかありますが、まず大きいのは、どちらもタワーディフェンス(TD)であるということ。
昔からこのジャンルが好きで、アクションで派手に立ち回るよりも、限られたリソースの中で最適解を組み立てるようなプレイスタイルが、自分に合っているのだと思います。
これは、ローグライクやデッキ構築型ローグライクが好きな理由とも共通していて、戦略がハマったときの快感が根底にあるんだと思います。
この二つはそれに加えて運の要素で上振れた時の気持ちよさもあると思いますが。
思い返すと初めてスマホを持った時に結構やりこんでいた二つのゲーム、カートゥーンウォーズとDefenseWitchesもTDでしたし、世間では艦これが流行っていたころ自分は千年戦争アイギスの方に熱を上げていました。
当時FANZA(旧DMMR18)版しかなかったアイギスを親の目を盗んでこっそりPCでプレイしていたのはいい思い出です。
好みの問題だけではなく、アイギスもモン娘TDも、デイリーの処理やイベント周回がかなり手軽に済む設計になっています。
1回クリアすればスキップできる要素が多く、作業感を覚える場面が少ないです。(アイギスは昔はそうではなかったですが………)
だから、「やっておきたい」気持ちはあっても、そこにストレスがない。
それでいて期間限定ではない高難易度モードがゲーム内に実装されているというのも大きいと思います。
もちろん期間限定の高難易度もあるのですが、いつでも気が向いた時に高難易度モードがプレイできるというのはかなり助かっています。
そういう意味で、この2作は自分にとって“義務感と相性のいいゲーム”なんだと思います。
余談ですが『アークナイツ』や『学マス』はそもそも純粋に面白いので、義務感とは関係なく、好みの関係で自然とプレイしたくなるタイトルです。
『FGO』は最早今更やめられないところまで来てしまいました。
長年追いかけていたコンテンツということもあって、義務感で続けている側面はかなり強いです。
2025年のFGOはかなりサ終の臭いを感じさせているのに「終章って言ったけど冒険はまだまだ続くんじゃよ」みたいな発表があったらどうしようかとは思っています。
いつか再燃するかもと思い中々ゲームを手放せない、そんな自分でも「これはもう流石に無理だな」と思って離れたゲームもいくつかあります。
その代表が『シャニマス(アイドルマスター シャイニーカラーズ)』でした。
当時は、芹沢あさひとストレイライトを本気で推していました。
シャニマスは、過去プレイしてきたゲームの中でもシナリオの完成度が群を抜いていて、考察をしたり怪文書を生み出したりと、改めて思うと自分でも引くくらいにはハマっていました。
攻略面でも試行錯誤するのが好きで、育成ルートや方針を自分なりに組み立てたり、周囲よりも一歩深く遊んでいるという実感もありました。
ただ、あるとき「このまま続けていたら、流石に死ぬかも」と思うようになってきました。
というのも、推しのピックアップガシャが、あまりにも短いスパンで何度も繰り返されたからです。
“今引かないと後悔する”という圧が頻繁に襲ってくる。それに応じ続けていたら、いずれ体も心も壊れるなと思いました。
正直に言うと、シャニマスのメインのゲーム性自体が「本当に面白いか?」と聞かれるとかなり難しいと思います。
どこかで見たことあるシステムではあるので革命的に面白いというわけでは無いですが、ある程度は面白さが担保されていると思います。
ただそれは革命的に面白い部分であるシナリオを人質にとっているからこそソシャゲとしてギリギリ成り立っていると個人的には思います。
プレイしなくなってからしばらく経ったころ、まだ読んでいなかったPあさひのWINGを一度プレイしてみました。
シナリオは良かったし、懐かしさもありました。
でも、「またあの課金圧を受け続けるのは無理かも」と思ってしまい、それっきりになりました。
たぶん、あれが自分にとって初めての「ハマっていたけどゲームそのものから離れる」という経験だったと思います。
無理をして続けていたら、いずれ楽しかったものまで嫌いになってしまう。
そう思ったときに、初めて完全に手を離すことができました。
完全に余談ですが、それからしばらく経ってリリースされたシャニソンが致命的に自分にはハマらなかったことと、さらにそれから少したってリリースされた学マスが革命的に面白かったことも自分をシャニマスからさらに遠ざけることになった一つの要因かもしれません。
という過去の経験もありブルアカの総力戦大決戦とは少し距離感を調整しておこうと思っています。
義務感が悪いとは思っていません。実際、自分はその義務感に支えられて、これまでいろんなものを続けてこられました。
でも、義務感が強すぎると、楽しいはずのものが苦しくなることもある。
以前シャニマスで感じていたそれを、今回の大決戦グレゴリオを経て、改めて実感しました。
今回の件は過去の出来事とは厳密にはシチュエーションなどが違いますが、義務感だけで何かを続けようとすると、好きな気持ちが反転してしまいかねないというところは同じだと思います。
今回はその手前で、ちゃんと立ち止まってみることにしました。
これは、「やめる」でも「諦める」でもなくて、これからもうまく付き合っていくための、ちょっとした調整だと思っています。
義務感はゼロにしなくていい。むしろ、ある程度はあってもいい。ただ、それに飲まれないように、ちゃんと手綱を持っていたい。
また総力戦・大決戦に熱中できる瞬間が来たとき、気持ちよく手を伸ばせるように、今は少しだけ、手を引いておこうと思います。
まぁ後はシンプルにサークルの席を空けた方がいいだろうなというのもあります。
「義務感」という言葉は、文字にすると少し重たい響きがあるかもしれませんが、多かれ少なかれ、誰もが何かに対して感じているものだと思っています。
今回書いたのは、それに対する自分なりの向き合い方の記録でした。
何か特別な結論があるわけではないし、「こうすべき」と言いたいわけでもありません。
ただ、自分自身がなんとなく曖昧にしていた感覚に、ひとつずつ言葉を与えてみたかった。
そして、それができて、少し肩の荷が下りた気がしています。
読んでくださった方の中に、「ちょっとわかるかもしれない」と感じてくださる方がいれば、それはたぶん、とても嬉しいことです。
まぁ普通の人はしばらく離れてたゲームに復帰しても損を感じるなんてことはあんまり無いんだろうなとは思う。
そもそも復帰するっていう概念が無い気がするけど。
髪は大体月1くらいのペースで切りに行ってます。
あんまり短くなりすぎると顔の大きさとのバランスが取れないし、あんまり長すぎると目が隠れすぎて表情が見えなかったり不潔に見えるので。
学生時代はセンターで分けなきゃいけないくらい伸びてきたらそろそろ切りに行くか~って感じで切りに行ってたけど今じゃ考えられないかもです。
東京にいた時はシャンプーなし2200円の美容室に通ってたけど岐阜に帰ってきてからの方が料金が高い不思議。
もしかしたら不思議なのは通ってた所の安さかもしれない。
ダスクです。
2023年の2月に注文してからちょうど2年間ouraringを使用して睡眠を計測して管理していたので書き散らし。
なぜouraringを使用し始めたのか
東京で働いてた頃は色々病んでたり自己管理が杜撰だったこともあってちゃんと睡眠がとれてないことも多かったです。
そこで何か睡眠が計測できるものが無いかなと考えました。
可視化すれば多少はマシになるだろうと思ったのがきっかけです。
当時睡眠の計測と言えばapplewatchやfitbit等の腕時計型デバイスばかりだったのですが、腕時計は当時の信条的にあまりつけたくなかったので何かいいものは無いかと探していたところ指輪型のでウェアラブルデバイスの存在に行きつきました。
そんな中でも「睡眠の計測」という面において比較的良い評価を付けられていたouraringを購入するに至りました。
実際どうだったのか
指輪型デバイスだったこともあり寝ているときにつけていてもあまり気にならないというのはかなり好感触でした。
ほぼ毎日充電が必要なapplewatchとは違い満充電の状態で7日間持ちますし、私は寝るときだけ着用していたためさらに長い期間充電が必要なかったです。
購入前に確認していたレビュー通り睡眠の計測がかなり正確だったように見えたのもよいポイントでした。
じゃあなんでやめたのか
・サブスクが高い
まず本体の代金が4~5万程度するのにそれに加えて毎月999円のサブスク代が別途かかります。
サブスクに加入していない状態だとアプリから閲覧できるデータが少なく過去のデータの参照もできません。
スコアと呼ばれる謎の数字を見れるだけなので何時に寝て何時に起きたとかは一切確認することができません。
・意外とごつい
買った当初は割と四六時中着用していたのですが指輪自体が意外とごつくいろいろな動きを制限したりするのが不便でした。
イメージ画像などを見るとそうでもないのですが、見た目のチープさのせいでなんだかおもちゃの指輪でもつけてるかのような見た目に見えていたのもよくないポイントでした。
・そもそも睡眠計測にそこまで重視する必要がなくなった
2024年の2月に転職して実家に帰ってきたことを転機として生活リズムなどが改善された結果、夜になったら眠たくなり朝になったら目が覚めるという昼型の人間としてはごく当たり前な生活が送れるようになったため睡眠を可視化して管理する必要性が無くなりました。
・腕時計が必要になった
前職では時間を確認しようと思ったらモニターの右下に表示されている時計か最悪スマホで確認すればいいのですが、現職では不意に現場に行ったり偉い人が突然現れることもあってスマホだと少々気まずいことがあり腕時計が必要になりました。
そのためデザインと価格と機能的にもいい感じで睡眠計測機能が搭載されているhuawei band 9を購入しouraringは晴れてメルカリ送りとなりました。
つらつらと書きましたが
決して悪いデバイスではなかったけれど良い商品ではなかった
というのがざっくりした結論ですかね。
では今日はこんなところで。